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心友会会長ご挨拶

心友会会長挨拶全文

水平線

この度、小川俊樹前会長からバトンを引き継ぎ、心友会会長を拝命いたしました。
「心友会だより:50周年記念特集号」を紐解くと、文理大・教育大・筑波大と続く伝統の厚さと重みがひしひしと伝わり、心友会の会長職は私には重すぎるという気持ちですが、恩師・堀洋道先生や田上不二夫先輩も務められたこの職務、私もまたその伝統をつなぐ小さな輪の一つとして、精一杯努めさせていただきたいと思っています。
心友会の先輩方、同輩、そして後輩の皆様、どうかご支援とご指導のほど心よりお願い申し上げます。

まずは自己紹介から
教育大学では応用数理学専攻から、当時としては珍しく、実験心理学(性格・社会心理学)の大学院を受験したため、友人や先輩からは「変り種」などと言われました。当時、東京工業大学から戻られた堀洋道先生のご指導のもと、社会・心理現象を調査や実験的手法で解析することの面白さに目覚めたのはこの頃です。
昭和52年1月に東京教育大学で修士論文「社会的相互作用場面における対人認知の研究」を書き上げ、同年4月からは筑波大学心理学研究科3年次へ編入学いたしました。大学院生活5年、技官(準研究員)3年、そして大正大学での5年間を挟んで、平成2年4月に筑波大学に着任してからの22年と合わせ、実に30年にわたる筑波での生活を送りました。退職の年である平成24年10月には、「意識下における情報処理」と題して心友会で発表させていただく貴重な機会もいただきました。

教育大から筑波大へ
思い起こせば、教育大(E255実験室)での最後の3年間、そして筑波の人間学類創成期における大学院生生活の5年間は、私の記憶にいまも鮮やかに残っています。
「日曜日でも祝日でも、教育大本部建物の脇にあるアーチをくぐり、E館の幅広い緩やかな階段を上り、255実験室の重いドアを開けると、そこにはいつも誰かがいた。脳波室や358実験室では、ラーメンを作って泊まり込みで実験に打ち込んでいる仲間の顔があった。そうした仲間一人ひとりの顔が、今もなお懐かしく思い出されれる。…また、常磐線荒川沖駅からバスに揺られること40分。目の前に筑波大学の広大な空間が広がり、松林の中に煉瓦張りの真新しい茶色の建物(人間学系棟)があった。大学院生も学類生も夜遅くまで実験室に泊まり込み、熱心に何かに打ち込んでいた。筑波大学人間学類の1期生や2期生には、何か新しい意気込みと熱気のようなものが満ち溢れていた。…」
大学院生や技官の頃は、実験に明け暮れる日々でした。実験後、暗闇の中に車を走らせ、北の端にある割烹で皆と一緒に食事をするのが常でした。賑やかで楽しい食事でした。夜間大学院(大塚地区)の5年間も忘れがたい思い出です。行動力にあふれた社会人相手の授業には、打てば響く熱気がありました。実験も授業も好きでした。好きなことを好きなだけさせてくれた筑波大学には、感謝の念しかありません。これからは、母校への恩返しのつもりで、微力ながらも心友会の発展に尽力したいと考えております。

これからの心友会について
会長就任にあたり、小川前会長からは、心友会がこれから向かうべき方向性や具体的な指針となる三つの課題を託されました。
1:同窓生のより広い繋がりを目指す活動
文理大から教育大、そして筑波大学へと移行して52年が経ち、現在約4000人の会員の多くは筑波大学出身です。文理大学時代は圧倒的に大学教員が多かったのに対し、筑波大以降はOBOGの職域も、少年鑑別所や家庭裁判所の調査官などの公務員から、ベネッセのような民間の教育関連事業、AI関連会社、テレビや新聞に関わる広告関係、一般企業等へと大幅に広がっています。そのため、現在の心友会活動がアカデミズムに偏りがちである現状は、再考の余地があると感じています。今後は、より広く社会の隅々で活躍する同窓生の繋がりを重視し、多様な分野を包含する幅広い活動を展開していく必要があるのではないでしょうか。
2:ホームページの更なる充実
上記の「より広い繋がりを目指す活動」に関連して、同期会の広場を設けることや、職域ごとのフォーラムを立ち上げるなど、オンライン活動の充実を図っていきたいと考えています。これを機に、若い世代の参加を積極的に呼びかけ、心友会の活性化を目指します。
3:財務状況の改善
賛助金や寄付金のご協力により、財務状況への懸念は多少軽減されましたが、会費の納入状況の改善や、より簡便な納入方法の見直しなど、工夫を凝らした取り組みを今後も継続していく必要があります。

これらの重要な課題をどのように実行に移していくか、皆様からのお知恵と積極的なご協力を心よりお願い申し上げます。

                2025年4月吉日 
                            吉田 富二雄